<1>
…この部屋ね。
新藤冴子は、その病室の前で立ち止まると、一度ノックしてからドアを開けた。
部屋の中は割合に狭く、それでも一応個室であるようだった。部屋の隅に置かれた質素なパイプベットに男が一人、いびきをかいて寝ている。あれが糸永慎二だ。冴子は一瞬起こすまいと一応気遣ったのだが、よだれをたらしながらいびきをかいている糸永を見ていると、段々腹が立ってきた。気づくと冴子は、手に持っていたハンドバックで、糸永の頭を殴っていた。
「アイデッ!…ああ、看護婦さん?やっと僕に電話番号教える気になったんすか」
「なに寝ぼけてんのよ」
冴子はもう一度、糸永の頭を殴る。
「アイタッ…あれ、冴子さんじゃないっすか。お見舞いに来てくれたんすね。やっぱり僕の事が心配だったんだぁ」
どうも糸永のこんな態度を見ていると、到底けが人とは思えない。冴子はもう一度、頭を殴ってやろうかとも考えたが、気を静めてベットのそばにあった椅子に腰掛けた。
「まったく、人がこのくそ暑い日に仕事してるっていうのに、あなたはクーラーの効いた部屋でお昼寝?」
冴子が皮肉を言うと、糸永はスポーツ刈りの頭をなぜながら、
「はははっ、一応けが人なもんで」
と、何故か誇張した。
冴子は大きく溜め息をつく。
「それで、どうなの怪我の具合は?」
「ええ、大丈夫っスヨ。傷口もほとんど塞がったし。それに、ここの病院の看護婦さんは、皆綺麗で優しいし…。どこかの誰かさんとは違って…」
「何か言った?傷口広げられたいの?三途の川を見せてあげようか?」
「あ、い、否…、たまには入院もいいかなぁ、って…」
「そう思うなら、一生入院してなさい。そのほうが世の中のためよ」
冴子は肩をすくめ、病院の天井を見上げながらそう言った。
例の事件が、思いもよらぬ結末を迎えてから、早一週間経つ。その間にも、冴子は報告書やらの事件の後始末に追われて、最近はゆっくりとした時間を持てないでいた。今日、こうして糸永の病室に訪れたのも、別に時間が余っていたわけではない。ただ、一応事件にかかわった者として、糸永にもその後の事件の展開を教えてやるべきだと思ったからである。だからこうして、忙しい時間を割いてここに来たのだ。
「それで、その後はどうなんです?」
案の定、糸永は少し真面目な顔つきになって、冴子に聞いてきた。
「ええ。北野春人は十五年前の事件も、今回の事件も全面的に犯行を認めたわ。ほとんど私の推測どうりだった…。北野春人は十五年前に両親を殺害し、その事で染谷俊彦に脅迫され、彼も殺した」
糸永は一度うなずいて、それから少し首を傾げる。
「冴子さん、どうして染谷は今頃になって、そんな脅迫をしたんですかね?」
「前にも言ったけど、染谷はずいぶんと借金を抱え込んでいて、お金に困っていたのよ。そんな時、ふとその事件の事を思い出したようね」
「という事は、春人が両親を殺害した現場を、殺された三人は目撃したんすね。でも、どうしてその時すぐに警察に報せなかったんでしょうか?」
冴子は首を横に振る。
「そうじゃないのよ。殺された三人は、直接春人が両親を殺害する現場を見たわけじゃないの。みたのは、その『直後』よ。春人はそのとき物陰に隠れていて、姿は見られていないはずだ、って供述してる」
「それにしたって一緒じゃないっすか。人が血だらけで倒れてるんすよ。いくら当時小学生だからって、それくらいの常識はあったでしょう」
糸永に言われて、冴子は髪をかきあげる。
「そこなのよね。この事件が奇妙な具合になったのは」
「どういうことっすか?」
「その現場にね、たまたま幼稚園から帰ってきた吉行がいたのよ。殺された三人は、その現場で北野吉行を目撃したわけ」
「あっ、そうか!染谷たちは、吉行をその現場の犯人と思い込んでしまったわけか」
糸永は、パチンと指を鳴らす。
「そうなの。だけど、吉行は事件には何も関係なかったのよ。彼が帰ってきたのは、やっぱり春人が両親を殺害した直後だったわけだけども、三人はそんな事を知るわけもなく、吉行を犯人だと決め付けて、彼を追いまわした」
「ははん、隣家の吉良亮二が目撃したのは、ちょうどその場面なんすね」
「まぁ、そうなるわね。裏口から逃げる北野吉行。それを追う三人組…。春人も、そのあとを気づかれないように追ったそうよ…」
冴子は呟くように言うと、一度足を組みなおす。
「…三人に追い詰められた吉行は、その途中であの森にあった穴に落ちて死んでしまった。勿論、これは事故になるんでしょうけど、三人は罪悪感にさいなまれ、何も無かったことにしたのよ。そう、三人だけの秘密…。だけど、北野春人は、その様子をじっと陰に隠れてみていた。ここで自分が出て行けば、両親を殺害した事がばれてしまうかもしれない…。春人はそう思ったそうよ」
「なるほど、そういうわけだったんすか…」
糸永は言って、右手で少しだけ伸びたひげをさする。
「…しかし、染谷俊彦は、いつ北野春人が真犯人だってことを突き止めたんすかね?
「春人が言うには、多分、吉行が穴に落ちた直後だろう、って事なの。吉行は即死ではなかったから、自分の意識が薄れていく前に、兄の名を言ったのかもしれないわね」
「そうなんですか…」
糸永は、なんとも言いがたい表情でうなずくと、今度は前よりも少し伸びた髪の毛を撫ぜた。
「まあ、大体こんなところかしらね。何か他に聞きたいことがあるかしら?」
冴子は椅子からゆっくりと腰を上げて、糸永に尋ねた。
「ねぇ、冴子さん。春人にとって、吉行の死は好都合なものだったんでしょうか?事実、警察はその事に目を奪われていたわけだし、そのおかげで春人の身も少なくは安全になった。でもですよ、吉行は実の弟なんでしょう?いくら吉行の死は事故だって言っても、春人にとっては三人に弟を殺されたようなもんですよね。僕は、春人が三人を殺したのは、どうもそういうことも含まれているような気がするんです。復讐っていうか…、そんなものもあったんじゃないんすかね」
「確かにそうね。実際、あなたは気を失っていたから知らないでしょうけども、春人は確かにそんな事も言ってたわ。でもね、春人は徳永って言う関係のない人間まで殺してるのよ。ましてや、自分の妹までも手にかけようとした…。まぁ、あの男は妹を殺せなかったでしょうけどね。…でもね、どんな事が過去にあろうと、復讐なんて言葉は、何の言い訳にもならないわ。罪は罪なのよ」
一瞬、冴子は罪とはなんだろう?と自分の言葉に疑問した。しかし、それはすぐに冴子の思考から消える。自分は刑事なのだ。そんな事にいちいち疑問を感じていては、仕事など勤まろうはずがない。
「両親殺害の動機は、なんなんです?」
糸永が、不意に尋ねてきた。
「動機…」
冴子は呟く。やはり、それもただのいい訳にしかすぎない。そもそも動機などというものは、捜査以外ではどうでもいいことだと思っている。人間は、もともと生き物を殺す生き物なのだ。それで食物を得たり、自分の身を守ったりして暮らしている。ただ、そういうことを正当化するために、動機というものがついてくる。殺したものが人間であれば、なおさらだ。訳もなく人を殺す人間が、この世の中を徘徊していれば、毎日が気がきではないし、自分もそうである、とは認めたくない。だからこそ、世間はいろいろな犯罪に対して、強く納得できる動機を求めるのだ。それらを聞き、納得し、安心し、自分は違う、と自らを正当化する。人間とは、そういう生き物なのだ。
冴子は髪をかきあげ、言葉を続けた。
「…両親の不仲、が動機だそうよ」
冴子が言うと、糸永は酷く驚いた顔をした。
「それだけっすか?そんな動機で、自分の両親を殺害したって言うんですか!?」
案の定、糸永は冴子が予想していた態度を示した。
「納得できない?どうして?春人にとっては、それだけで十分な殺害動機になったのよ」
「しかし冴子さん、そんなものは…」
糸永がなにか言おうとするのを、冴子は途中でさえぎった。
「糸永君、私に何をどういったところで、どうしょうもないの。現実に『それだけの動機』で、殺人事件が起こったの。あなたがそれで納得しようがしまいが、何も変わらないわ。これ以上の議論は無意味なの」
冴子は言って、腕時計に目をやった。
「じゃ、そろそろ失礼するわ。下で双葉君を待たせているの。あまり遅くなると、また色々ぶつぶつ言われて面倒だから」
「ああ、双葉さん盲腸治ったンすね」
糸永は苦笑いのようなものを浮かべる。
「ええ、またうるさいのと毎日行動しなきゃいけないわ。まぁ、あなたよりかは使えるけど」
「あっー、酷いっスヨ。今回、僕だって頑張ったんすから」
糸永は、あからさまに唇をすぼめる。
「そうだったら、少しは良かったんだけどね。まぁ、早くその怪我治して、仕事に復帰する事ね」
冴子は言って、ハンドバックを脇に抱えた。
「冴子さん…」
糸永が冴子の名を呼ぶ。
「なに?」
「今度来るときは、フルーツの添え合わせぐらい持ってきてくださいね。だって普通、お見舞いに来たなら何か持ってきてくれるっしょ?」
冴子は笑みを浮かべ、今一度バックで糸永の頭を殴った。
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<2>
さんさんと太陽の光が降り注いでいる。
北野純香はバス停の前に立ち、暫くは何も考えずにただ立っていた。とても静かで和やかだ。こんな小さな村で、あのような事件が起き、そして十五年という歳月を経て、この村でその事件は幕を閉じた。
…本当に、すべて終わったのだろうか?
ついつい考えてしまう。何も考えたくないのに、そう思えば思うほど、純香の思考はそちらの方へ進んでいく。
正直な話、純香には未だ事件の真相に現実感が持てないでいた。
「あのさ、俺、なんていっていいのか…」
純香の横に立っていた吉良亮二が呟く。純香が今日、都会のマンションへ帰省する事を知って、ここまで送りにきてくれたのだ。
「ううん、私は大丈夫よ。心配してくれてありがとうね、亮ちゃん」
純香は首を横に振り、そう言葉を発した。しかし、何がどう大丈夫なのか、純香自身よくは解らなかった。自分の兄が殺人犯…。そのショックは勿論大きなものであった。当分の間、立ち直れそうにないし、世間や会社が、純香をどういう目で迎えてくれるのかも不安であった。
…私は、殺人犯の妹なんだ。
その事だけは、妙に実感があった。なんとなく気持ちが矛盾している。
「なあ、また帰ってこいよ。今度のときは、もうちょっと相手してやるからさ」
亮二は、少し照れくさそうに突然そういって、髪の毛を軽くかいた。こんな亮二の態度は極めて珍しい。
「もしかして、私に気を使ってるの?」
純香は微笑みながら聞いた。
「べ、別にそんなんじゃねぇけど…」
「亮ちゃん、本当にありがとう。でもね、もうここには帰ってこないと思う。なんだか、色々とありすぎて、なんていうのかなぁ…。勿論、楽しい思いでもあるけど、でもね、やっぱり気持ちの整理って言うか…。お父さんとお母さんが死んで、弟も死んで、そしてお兄ちゃんは…」
だんだんと声が震えてくるのが自分でも解った。目頭も熱くなり、ついには涙が流れてくる。
「だから…だからね、今度ここに戻ってきたら、そんなの全部思い出しちゃって、すごく辛くなると思うんだ。それなら都会のマンションで、一人でせっせと生きていくほうが気分がまぎれて、少しでも今回の事を忘れられると思うの。そのうち、素敵な彼氏を見つけて結婚して、子供を産んで…。あっ、でも、やっぱり人殺しの兄貴の妹なんて、誰も好きになってくれないよね」
言葉の最後のほうは、冗談交じりに言って笑うつもりだったのだが、うまくできなかった。
「そんなこというなよ。お前の兄貴は…、本当に優しい人だったぜ。そうじゃなきゃ、あんなに一生懸命働いて、お前の面倒なんて見るわけがない」
亮二の言葉に、純香はうなずく。
「…解ってる。お兄ちゃんは本当に優しかった。少なくとも私にはね。この前だって、お兄ちゃんは本気で私を殺そうとはしてなかった。私には解るの…」
そう思いたかった。
純香は涙をぬぐって、空を見上げる。これ以上涙を流したくなかった。そうして、呟くように言う。
「ねぇ、優しさってなんなんだろう?」
純香のその問いに亮二も空を見上げ、暫く間を空けたあとで、ゆっくりと答える。
「そんな事、俺にはわからねぇけど、多分、誰かを愛することが、優しさなんじゃねぇかな。ははっ、ちょっとクサイけどな。…お前の兄貴は、お前を愛してた。それが、それだけがお前に解る答えなんじゃないか」
暫く沈黙ができた。
不意に、純香は笑いがこみ上げてきた。堪えきれなくなって、ついには声に出して笑う。
「あははっ、亮ちゃんの言葉とはおもえないねぇ。本当にクサイクサイ。臭ってきそうだわ」
「う、うるせぇ」
そして、亮二も笑う。
雲ひとつない青空。目を覆いたくなるようなまぶしい太陽。
「そういえば…。亮ちゃん、警察の人にひとつだけ嘘つかなかった?」
純香は、思い出した事を亮二に尋ねた。
「嘘?何の事だ?」
逆に尋ね返してくる亮二の表情は、しかしわざととぼけている様子だ。
「十五年前の事件で、警察の人にどうしてあのひ亮ちゃんは祭りに行かなかったのか、て聞かれたとき、亮ちゃんは覚えてない、て答えたんでしょう?でもね、私は憶えてる。って言うか、つい最近まで忘れてたんだけど…。あの日、本当は亮ちゃんと一緒に、お祭りに行く約束してたんだよね。ちょうど亮ちゃんが初めて植えたお花が咲いた、って私に一番に見せてくれるっていてくれたんだよね。でも、私熱が出ちゃって、結局亮ちゃんとの約束守れなかった…」
純香は少しうつむく。
亮二は、そこで何かを言おうとしたのか、途中まで口を開きかけたが、一瞬目を瞑って、首をゆっくりと振り、息を吐いた。
「なに、どうしたの?」
純香は亮二の顔を見る。
「い、いや、なんでもねぇよ」
「もしかして、愛の告白かなぁ?俺はあの頃から、お前の事が好きだったんだー、なんて」
「ば、馬鹿いうなよ!な、なんで俺がお前なんかを…」
あからさまに動揺を見せる亮二の態度がおかしくて、純香は再び笑った。
「へぇ〜、亮ちゃんって、意外と解りやすいんだ」
「ち、違う!お前、少し自意識過剰なんじゃねぇの!?」
亮二はそう叫んで、そっぽを向いた。
刹那、純香の目の前に、何か小さく白いものがゆっくりと舞い降りてきた。純香は慌てるように右手のひらを広げ、それを受け止める。
小さな、鳥の羽毛だった。
「なぁ、今度は約束守れるか?」
突然、亮二が声を発したので、純香は驚いて亮二の顔を見る。
「…俺さ、いま必死になって金貯めてる。自分の夢を叶えるためにな」
「夢?」
「ああ。俺、小さくてもいいから、このちんけな村に花屋を開きたいんだ。もう少し時間がかかりそうだけど、きっと実現させてみせる!もし…もしさ、その夢が叶ったら、お前にも教えてやるからさ…」
亮二は、そこでいったん言葉を切った。そして、まっすぐに純香の目を見つめ、微笑む。
「…だから、またここに帰ってこいよ」
再び、純香の目頭は熱くなり、涙がこぼれた。うまく息ができないくらい、胸が苦しかった。亮二のその言葉が、何よりもうれしかったからだ…。
純香は涙を拭きながら、小さくうなずく。
「よし、約束な。今度は破るなよ!」
亮二がそう叫んだと同時に、一瞬強い風が吹いた。純香の手のひらに乗っていた小さな羽根は、その風に飛ばされ、再び舞い上がる。
純香は慌ててその羽根を目で追った。
でもその羽根は、既に見えなくなっていた。
…さようなら。
純香は、心の中でそう呟く。
陽炎の立ち昇る向こうから、迎えのバスの姿が見えた…。
<了>
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この作品は当サイトで2002年8月連載されたものです。
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