第四章
天使の骸
<1>
翌日、北野純香は帰宅の準備をしていた。市内のマンションに帰る準備である。
昨夜は深夜遅くまで、兄の春人と話し合っていた。純香自身が何者かによって襲われたこと。その人物がここを出て行け、と警告したこと。そして、その人物こそが純香の両親と、染谷たちを殺した犯人ではないか、という疑惑のこと…。
『警察には言わないでおくか…』
春人の言葉である。純香もそれにうなずいた。警告どおり自分が出て行けば、恐らく『奴』は何の危害も加えてこないだろうとの結論だった。下手に警察に報せれば、かえって純香の身が危険に晒されるかもしれない。
話し合いの最後に、泣きじゃくる純香の前で、春人は悲痛な面持ちですまない、と一言呟いた。
…これでいい…。
純香はそう思う。純香の疑惑どおり、自分を襲った人間が、十五年前の事件の犯人だったとすれば、もうすぐで時効である。その時効さえ過ぎてしまえば、犯人にとって純香は、何の危惧も持ち得ない存在になる。昨夜純香を襲ったのは、純香が『十五年前に犯人の顔を見ていた』からだろう、と純香は解釈している…。
…本当に、それだけだろうか。
純香は釈然としない。もしそうであれば、犯人はこの家の近辺に住んでいる可能性が極めて高いように感じられる。となると、犯人は『純香の記憶が曖昧なことを知っている』人物になる。このことはなにを意味しているのであろうか。
判然としない思考を振り払うかのように、純香は三度ほど頭を大きく横に振ると、急いでバックの中に荷物を詰め込んだ。
兄の春人は、今日は不在である。急な仕事が入ったとのことで、休日出勤を命じられたそうだ。恐らく夕刻過ぎまでは戻ってこないであろう。また日を改めて帰ってきます、とでも書置きをしておいて、居間に置いておけばよい。純香がそう思って、おもむろに立ち上がろうとしたときである。不意に玄関のほうで、五郎の吠える声が聞こえてきた。そして、呼び鈴の電子音が響く。
…誰だろう?
一瞬、純香の体に緊張が走ったが、意を決して玄関へ向かう。少し神経質になっているようだな、と思いながらも、純香は少し身構えてから返事をした。
「はい、どちらさまですか…?」
しかし、返答はない。依然、五郎の吠え声が聞こえるばかりだ。
刹那、ガラガラと玄関の扉が開かれた。
…亮ちゃん?
そこには、隣家の吉良亮二が不審気な表情で立っていた。
「なんだよ、いるなら返事ぐらいしろよ」
無愛想に亮二は言うと、右手に持っていた小さなプラスチックの容器を純香に差し出す。
「うちのお袋が、白菜を漬けたからお前らのところにも分けてやれってよ」
そういって、純香にそれを手渡す。
「あ、ありがとう」
しばし呆然としながら、純香はそれを受け取る。
「どうした?なんかお前、顔色悪いぞ」
亮二が、相変わらず表情の読めない無機質な眼差しで尋ねてくるが、純香は首を横に振りなんでもない、と答えた。
「あ、そう、それならいんだけど。…じゃあ、それだけだから」
亮二がそういって、踵を返そうとするのを、純香が突然呼び止めた。
「亮ちゃん。さっき、私返事したよ」
不意に、そんな言葉が純香の口から漏れた。
「ああ…、そう。この馬鹿犬がうるさくって聞こえなかったよ…」
亮二は、吠え続ける五郎を睨みつけてそういう。
…ああ…。
眩暈がした。足がガクガクと震える。
「おい、どうした…?やっぱりお前変だぞ」
亮二のその表情には、薄ら笑いが浮かんでいるような気がした。
「な、な、何でもないよ」
純香は激しく首を振り、玄関を力強く閉めると、逃げるようにしてダイニングルームのほうへ駆けていく。
…あの時、あの時!
酷い頭痛の中、純香はそこに倒れるように座り込んだ。頭の中で、何かが爆発したような衝撃。それと同時に、今まで凝り固まっていたものが急に溶け出して、激流のように純香の頭を支配する。
ようやく純香は、『すべてを思い出した』。
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<2>
時刻は既に、午後の八時を廻っていた。思っていたよりも会議が長引いたせいで、こんな時間になってしまったのである。
新藤冴子と糸永慎二は、昨日と同じK村の定食屋で軽い夕食を済ませると、足早に例の森の方へと向かっていた。二人の右手では、懐中電灯が心許ない光で目の前を照らしている。
「本当に行くんすか?もうかなり暗いっスヨ」
糸永は、自分の足元を照らす光をぐるぐるとまわし、半ば投げやりな様子で前を歩く冴子に尋ねてくる。
「当たり前でしょう。何しにわざわざここまで来たと思ってるの」
冴子は呆れたように、後方の糸永に振り向く。
「そりゃあ、まあ、そうっすけど。何も今日こなくったって…」
「時効まで日がないことは、あなたも知ってるでしょう?明日できることは今日しておけ、よ」
「僕の場合は、明日できることは明後日まで延ばせ、って格言に変わるんすけど」
糸永はそういって、一人でがははっと笑う。
冴子はそんな糸永に取り合うのをやめて、歩みのスピードを少し速めた。
鬱蒼とした森に足を踏み入れた頃には、二人ともずいぶん歩き疲れていた。思ったよりも遠く、途中の民家で聞いた話では、北野家か吉良家の裏口を抜ければ、この森までの近道になるらしい。そのほかの道を通ってこの森を目指すなら、かなり迂回しなければならないらしかった。なんとも不便なことだ、と冴子は思いながらも、ようやく目的地にはたどり着くことができたようである。
「なんか気味悪いっすよね、夜の森って…」
糸永は落ち着きなく、辺りをきょろきょろとしながらそんなことを呟く。
確かに不気味な場所ではある。夜の闇と静寂が辺りを支配し、聞こえてくるものといえば、自らが踏みつける小枝の音と、時折聞こえてくるフクロウの鳴き声。そして、無数の虫の羽音…。これらは決して無音とはいえないのだが、かえってこの森の静寂さを際立たせているような、そんな気が冴子にはしていた。
冴子と糸永は、さらに森の奥へと足を進ませる。
「冴子さん、僕ふと思ったんすけど、穴井と一緒に殺されていた、徳永っているじゃないっすか。彼は、単なる巻き添えで殺されただけなんすかね?」
そのことは、今回の捜査会議でも持ち上がったことである。確かに冴子の頭の中では、被害者は染谷、青木、穴井の三人なのだが、事実上、徳永を入れれば四人の被害者がいたことになる。勿論、冴子もそのことをまったく考えなかったわけではない。たとえば、犯人が本当に殺したかったのは、徳永一人で、あとの三人は単なるカモフラージュではないか、という考えも浮かんだことがある。しかしながら、徳永のことを調べてみたところ、穴井以外、他の被害者となんらかの関係を持っているようなものはなかったので、やはり徳永という男は、巻き添えで殺されたのだという結論に、冴子は達した。これ以上、徳永のことを詮索しても、恐らく何の意味も持たないであろう。考えてみれば徳永という男は、哀れである。
「それと、あと一つ…」
糸永は、右手の人差し指をオーバーにつきたててみせる。
「…一体、この森でなにをしようとしてるんすか?」
冴子は立ち止まり、糸永の顔面に向けて懐中電灯の光を当てる。すると糸永は、まぶしそうに顔を顰めた。
「少し静かにして頂戴。さっきからぶつぶつぶつぶつとうるさいわよ。いい、五月の蠅と書いて、『うるさい』と読むの。あなたは、蠅と一緒よ」
「なっ、なにもそんなに怒んなくったっていいじゃないっすか。ただ僕は…」
甲高い声で抗議しようとする糸永が、途中で言葉を止めた。
「どうしたの?」
冴子は、訝しんで糸永に尋ねる。
「い、今、笛の音が聞こえませんでした?いかにも幽霊が出てきそうな…ほら!」
糸永に言われて、冴子は耳を澄ます。
確かに遠方から笛の音が聞こえてくる。笛の音だけではない、太鼓を叩くような音もだ。
…夏祭り?
冴子は、ふとK村の住人に聞いた、夏祭りのことを思い出した。なんでも夏祭りの日には、村の子供たちがこぞって笛や太鼓で大いに祭りを賑やかすとのことだったが、夏祭りの日はもう少し先の日である。となると、今聞こえてくるのは、恐らく村の子供たちがどこかで集まって、練習でもしているのであろう。
…そういえば、十五年前の事件当日は、夏祭りの日…。
冴子は目を閉じる。十五年前、一体ここでなにが起きたのか?冴子は知るはずのない他人の過去を必死で思い描こうとする。これは、冴子が時々もちうる『捜査方法』でもある。自分の知りえないものを、いかにして辻褄が合うように自分の思考の中に取り入れるか…。今日、ここに来たのも、それを行うためだといってよい。
不意に、ひゃぁ、と小さな悲鳴がした。糸永の声である。何事かと目を開けて糸永を見やると、なにやら地面に足を取られて必死でもがいている。
「どうしたの?」
冴子は、人事のように尋ねる。
「こんなところに穴が開いてたんすよ!枯葉が詰まってて気づかなかったんすけど」
冴子はふーん、といって糸永の足元を懐中電灯で照らしてみる。
…あれは…!?
それは、本当に偶然であった。懐中電灯の光の先に、なにか細く白い枝のようなものが見えたのである。
それは枯葉の中から起立するように突き出していた。糸永もそれに気づいたらしく、目を凝らしているようだ。
「う、うひゃ!冴子さん、これ骨っスヨ!人間の骨っスヨ」
糸永は、慌てて穴に埋まっていた右足を引き抜くと、冴子のもとに飛びつくように駆け寄ってきた。しかし、冴子はそれを無視し、糸永とは逆に穴のほうへ近づいていく。
確かに糸永の言うとおり、それは人間の手の部分の骨である。その骨が、穴の奥底から枯葉を突き破るようにして突き出ている。恐らく胴体部分は枯葉の中に隠れているのであろう。冴子はその場にしゃがみこむと、急いで穴を埋めている枯葉を掻き出しはじめた。
「糸永君、なにやってるの。あなたも早く手伝いなさい!」
がたがた震えている糸永を一瞥し、冴子は怒鳴った。
穴の中に、土でも詰まっているのならば、それを掘り起こすのにずいぶん時間がかかったに違いない。しかし穴には、枯葉とごく少量の土が埋まっている…否、積もっている程度で、それほどの労力を要せずに、その作業はできた。
「冴子さん、これ!」
途中、糸永が大声で叫ぶと、枯葉の中からなにか取り出した。
…これは!?
冴子は、それを糸永から受け取る。
それは、片方だけの大きな翼であった。長年この中に埋まっていたためか、酸化したような薄茶色に変色していたが、その翼がもともと白色だったというのは、安易に判別できた。勿論、これほど大きな翼である。良くはできているが、作り物であるのに間違いない。
冴子はしばし、その翼を観察していた。天使の背中にでもついてるような翼…。
…天使…。まさか!
冴子は突然としてその翼を放り投げると、今度は先ほどよりもピッチを早めて枯葉を掻き出しはじめた。糸永もそれに釣られるように、作業を再開する。
白骨体の身体全体があらわになった頃、冴子と糸永は汗だくになっていた。しかし、額に浮いた汗をぬぐうことも忘れて、二人はしばし呆然とその白骨体を見下ろしていた。
恐らく、子供の骸であろう。中空を掴むかのように右手を前方に突き出している。衣服はまとっているようで、ぼろぼろになったその色は、先ほどの翼のように薄茶色に変色している。そして、その背中にはもう片方の翼…。
「冴子さん、もしかしてこれは…」
「ええ、北野吉行の死体でしょうね…」
糸永が言い終わる前に、冴子が言った。
十五年前の事件当時、北野吉行は天使の姿をしたまま行方不明となったのだ。そして今、その骸と思われるものが、冴子と糸永の前に横たわっている。
冴子は軽い衝撃を受けていた。真剣には思っていなかったものの、『北野吉行犯人説』はこれで薄れたのだ。鑑識にまわして見ないと解らないものの、ほぼ間違いなく、この白骨死体は北野吉行のものであろう。つまり彼は『十五年前に既に死んでいた』のである。
となると、今回の事件は一体なんなのであろうか。十五年前の事件とは無関係なのであろうか。それならば、穴井圭造は何故、北野吉行の名前を出したのか。犯人は一体…。
すべてが白紙に戻った気がして、冴子は肩を落とした。北野吉行犯人説が薄れたとなると、十五年前の事件と、今回の事件をどう結びつければよいのだろうか。
「ねえ、冴子さん。『自殺した』ってことはないっすよね?」
糸永が控えめに聞いてくる。それに対し冴子は首を横に振り、遺体を指差した。
「白骨体の喉元を見て…。杭のようなものが突き出ているでしょう。それと、その首周りの衣服にできた染みのようなもの…。他のところと極端に色が違うでしょう?あれは多分血痕よ。つまり、この死体はこの穴に落ちて、その杭が喉元に刺さって、絶命したんでしょうね」
「なるほど。となると、冴子さんの説がいよいよ正しくなった気がしますね。にわかには信じがたいっすけど…。つまり、北野吉行は自分の両親を殺し、その逃走途中にこの穴に落ちて死んだ」
「それは違うわ。十五年前の事件の犯人が北野吉行ならば、今回の事件も彼じゃなければいけないのよ。そうでなければ、辻褄が合わない。…だけど吉行は、既に死んでいた。今回の事件の犯人であるわけがないのよ。要するに、十五年前の犯人であるわけがない」
「どういうことっす?じゃあ、犯人は別々にいるってことですか?」
「そう考えると、穴井の残したメッセージが無意味なものになるのよ。どうして穴井は、今回の事件の犯人を北野吉行だ、なんていったのかしら?そう考えると、やっぱり十五年前の事件と結び付けて考えるのが自然でしょう。でも、北野吉行が犯人でなくなると、染谷、青木、穴井を殺した動機が解らなくなるのよ」
「つまり、今回も十五年前も、北野吉行ではない別の犯人がいると?」
「そう…」
冴子はうなずき、じっと白骨体を見つめた。一体自分の推理のどこが間違っていたのだろうか?染谷が犯人を脅迫して、それが切っ掛けとなって、今回の殺人事件が起きた…。その考えは間違っていないような気がする。では、染谷俊彦は一体誰に、なにを脅迫したのであろうか。
…そういえば…。
冴子は、不意に妙な引っ掛かりを覚えた。
…あのときの会話は、何かおかしかった…なんだろう?
冴子は目を瞑って、必死で記憶をたぐる。
…そうよ。あの時、私は『そんな事』を言ってなかったのに、何故知ってたの!?
一瞬、頭の中が白くなる。
…まさか!?でも、十五年前の返り血はどう誤魔化したのかしら?
思考に集中する。
…そうよ、そうだわ!
冴子は目を開くと、唐突に糸永に叫んだ。
「すぐこの場所を署に連絡して!私はちょっと確かめたいことがあるから」
そう言って、突然駆け出していった。
「ち、ちょっとぉ、こんな不気味なところに置いてけぼりにしないで〜!」
糸永は甲高い声を発すると、冴子のあとを追いかけていった。
どこかで、フクロウが一声鳴いた…。
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<3>
ダイニングルームの食卓で、北野純香は目を瞑ったまま、ただじっとしていた。壁に掛けてある時計の秒針の音が、やけに耳に障る。それは普通にしていれば無音に等しいごくわずかな音なのだが、今の純香には、その音が家全体を揺るがすような大音響に思えた。自分の鼓動の音にしてもしかり、時折水道の蛇口から落ちる、水滴の音もまたしかり…。
ずいぶんと長い間、純香はそうしている。何時間もの間そのままの姿勢で身動きもせず、それは修行僧の座禅のようでもあり、瞑想のようでもあった。ただ、底知れぬ孤独と恐怖が純香を支配し、そして途方もない絶望感が純香を苦しめていた。
ガラガラ、と玄関の開く音が聞こえる。純香はようやく目を開けると、壁時計で時刻を確認した。
…午後の八時半。
兄の帰りは、思ったよりも遅くなったようだ。不審気にダイニングルームを覗いた春人の顔はずいぶんと驚いてるようで、仕事用のかばんをその場に置くと、
「お前、まだいたのか…?」
と、半ば呆れているような感じで呟いた。
しかし、純香はそれには答えずに、ただじっと兄の顔を見つめているだけである。
春人は、そんな純香の様子を見かねてか、どうした?と穏やかな口調で尋ね、純香の向かい側の席に腰掛ける。
「お兄ちゃん…、私、全部思い出したの」
苦痛に満ちた表情で、純香が呟く。
「なにをだ?」
「お父さんと、お母さんが死んだ日のことよ…」
「そう、か…」
意外にも、春人は平静さを保ったままでうなずく。
「…じゃあ、犯人の顔も思い出したわけか?」
「ええ」
純香もうなずく。
「誰だ…?」
真摯に純香の目を見つめたまま、兄の春人は問う。
夏祭りのために、子供たちが日夜練習している楽器の音が、遠方からしきりに聞こえてきていた
。
※※※
北野純香は泣いていた。その現場を目撃するには、あまりにも幼すぎたのである。言い知れぬ恐怖と衝撃…。
純香は、両親殺害の現場を間近で見てしまったのである。そして今、それに気づいた犯人が、たった今両親を殺害して血塗れたナイフを純香のほうに向けて、ゆっくりと近づいてきてるのである。
体中が震えた。真夏だというのに身体の芯から冷え切ったような、そんな感じがした。恐怖のため、涙が止まることなくまぶたを濡らしているが、その恐怖があまりにも純香の常識を超えているため、声を上げることができない。純香は、その場に座り込んだまま、自分のほうに近づいてくる犯人の顔を、ただ凍りついたかのように見つめていることしかできなかったのである。
(ただいま)
不意に玄関の開く音が聞こえ、そんな声がした。犯人はぴくりと一瞬反応したが、すぐに身構えると、純香の背後に向かい、純香の口を右手で封じて壁の陰に引きずるようにして身を隠した。
声の主は『弟の吉行』だった。壁の陰から犯人は、ダイニングルームの様子を窺っている。純香は口が封じられているため、声を上げて助けを呼ぶこともできない。ただ犯人のそばで事の成り行きを見守ってるしかなかった。
吉行がダイニングルームに来ると、弟はしばしその光景に呆然としている様子だったが、やがて血塗れで倒れた両親のそばまで来ると、だんだんとその顔が震えだし、泣き顔に変わろうとする。それを見かねてか、純香の口を封じていた犯人は、ダイニングルームに躍り出ると、吉行のほうに近づいていった。
(ひゃっ!)
と、弟が小さな悲鳴を上げる。それとほぼ同時に、再び玄関の開く音…。
それにはさすがの犯人も慌てたようで、握っていたナイフをその場に取り落とすと、それに構わず純香の元へ駆け寄り、再び口を封じて身を隠した。
弟は、その血塗れのナイフを拾い上げる。
その時、ちょうどあの三人組が現れたのである。染谷俊彦、青木祐介、穴井圭造…。
三人は、その現場を見て、一瞬唖然としていたが、やがて吉行を指差し、こう言い出した。
(お前が殺したのか?)
(違う、僕じゃないよ)
(嘘つけ、お前が殺したんだ!)
(違う、違うよ。僕じゃない)
(お前が殺したんだ!皆、あいつを捕まえろ!)
(いやだ!)
そうして、弟はナイフをほっぽり出して裏口から逃げていった。
(追いかけろ。あいつはノロマだからすぐに追いつけるぞ)
三人もそう言って、弟のあとを追いかけていく。
暫く、沈黙があった。
(いいか、このことは誰にも言うなよ)
犯人は威圧するように、純香にそういうと、自分も裏口から四人を追って出て行った。
一人取り残された純香は、ただ呆然とその場に座り込んでいたが、やがて放心したような表情で自室に戻ると、ベットの中に潜り込んだ。
…何も見てない、何も聞いてない。私は何も知らない。
純香は、心の中で何度もそう念じた。
…忘れよう。あれは全部夢なんだ。
そうして純香は、深くまぶたを閉じた。
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