作者・横溝正史について
1902.5.25-1981.12.28

 本名、横溝正史(まさし)。楠木正成の名前の一部をいただいた。(本人は本名「よこみぞまさし」で作品を出していたつもりが「よこみぞせいし」と思われていたため、使い分けるようになったという)

 大正15年 、江戸川乱歩の
「トモカクスグコイ」という電報を受け取って人生が変わる。彼の常識では電報は緊急時にしか打たないものだったため、あわてて上京したが、「久しぶりに君の顔が見たかったのさ」という乱歩流の殺し文句で怒るタイミングを失い、しばらくとどまることになった。その後、神戸の両親に「薬局は適当に処分して欲しい」と伝えた。
 
 あのとき乱歩の電報を信じなければ「流行らない薬局の主人として一生を終わっただろう」と述懐している。
1902(明治35年)
5月25日神戸に生まれる。
1912(明治45年)10歳
三津木春影の「呉田博士」を愛読する。
1914(大正3年)12歳
ルブランの「813」を翻案した春影の「古城の秘密」や黒岩涙香の「岩窟王」を愛読。探偵小説好きの片鱗がうかがわれる。また、草双紙も愛好。
1915(大正4年)13歳
神戸二中に入学。西田徳重と親しくなり、探偵小説について語り合う親友を得る。学校で学んだ英語が上達。原書を読み始める。
1920(大正9年)18歳
神戸二中を卒業し、第一銀行神戸支店に勤務。親友の西田徳重死去。それをきっかけに徳重の兄・政治との交流始まる。
1921(大正10年)19歳

大阪薬学専門学校に入学。4月、処女作「恐ろしき四月馬鹿」を「新青年」に発表。9月、長兄死去。いよいよ後継ぎとしてのプレッシャーが強まる。
「深紅の秘密」など発表。
1924(大正13年)22歳
大阪薬学専門学校を首席で卒業し、家業(薬種商)に従事する。在学中、時間のかかる実験はサボりにサボって小説に耽溺した。
1925(大正14年)23歳
4月、初めて江戸川乱歩に出会う。西田政治とともに「探偵趣味の会」の同人になる。
1926(大正15年)24歳
初の短編集「広告人形」を刊行。乱歩の招きにより上京し、博文館に入社。10月から「新青年」の編集部に所属。
1927(昭和2年)25歳
遠縁にあたる中島孝子と結婚。3月「新青年」の編集長に就任。
1932(昭和7年)30歳
初の書き下ろし長編「呪いの塔」を刊行。11月、博文館を退職、作家専業となる。
1933(昭和8年)31歳
結核を発病。喀血。
1934(昭和9年)32歳
信州上諏訪に転地。
1935(昭和10年)33歳
再起を賭けて執筆した「鬼火」が、検閲当局から一部削除の命を受ける。体調は徐々に回復し、旺盛な執筆活動がスタート。数年間に渡って「かいやぐら物語」「真珠郎」「薔薇の怪盗」「悪魔の家」「人形佐七捕物帳」など多数の作品を発表。
1939(昭和14年)37歳
上諏訪より上京。
1941(昭和16年)39歳
「人形佐七捕物帳」全5巻刊行をはじめ、捕物帳小説を多数発表。戦地では捕物帳が人気で、推理小説は歓迎されない空気が漂い始め、鬱屈する時期が続く。
1942(昭和17年)40歳
ディクスン・カーの作品を愛読。このときの蓄積が金田一耕助シリーズ執筆に大きな影響を及ぼした。
1945(昭和20年)43歳
岡山県に疎開。岡山地方の伝説・習俗などを学ぶ機会を得、のちに岡山を舞台としたたくさんの作品をかく土壌となる。8月敗戦。いよいよ本格的に推理小説が書けると、奮い立った。
1946(昭和21年)44歳
「本陣殺人事件」「蝶々殺人事件」など本格推理小説を次々に発表。金田一耕助シリーズスタート。
1947(昭和22年)45歳
「獄門島」など発表。
1948(昭和23年)46歳
「本陣殺人事件」で第一回日本探偵作家クラブ賞長篇賞を受賞。岡山より帰京。
1949(昭和24年)47歳
「八つ墓村」などを発表。
1950(昭和25年)48歳
「犬神家の一族」などを発表。
1951(昭和26年)49歳
「女王蜂」「悪魔が来りて笛を吹く」などを発表。この時期、抑えられていたものが一気に迸るような執筆が続いている。
1954(昭和29年)52歳
「病院横丁の首鎰りの家」を「宝石」に連載しはじめたが、中断。
1955(昭和30年)53歳
「三つ首塔」など発表。
1957(昭和32年)55歳
「悪魔の手毬唄」など発表。
1975(昭和50年)73歳
「病院坂の首鎰りの家」を発表。中断していた作品を完成させた。角川文庫の横溝作品が500万部を突破。空前の横溝正史ブームとなった。
1976(昭和51年)74歳
角川文庫の横溝作品が1000万部を突破。勲三等瑞宝章を受章。推理小説のステータスを高めた。市川崑監督による映画「犬神家の一族」が封切られ大ヒット。以後、次々に横溝映画がヒットし、若い世代の支持を集める。
1979(昭和54年)77歳
「悪霊島」を発表。77歳という年齢にもかかわらず、長編推理小説を発表した体力・気力・筆力で世間を騒がせた。
1981(昭和56年)79歳
12月28日結腸癌のため他界。
1996(平成8年)
横溝作品が5500万部突破。