金田一耕助とはどんな人物か?

 金田一というめずらしい名前は世界的なアイヌ語学者だった金田一京助博士の名からヒントを得てつけたものである。耕助も博士と同じ東北地方出身で、19の時青雲の志を抱いて郷里から上京し、私立大学に入ったが、一年足らずで日本の大学はつまらないといって中退し、ふらりとアメリカに渡る。

 アルバイトに皿洗いをしながら、アメリカ各地を放浪しているうちに麻薬の味をおぼえて常習者になったが、たまたま、サンフランシスコの在留邦人の間におこった殺人事件見事に解決したのが縁で、その関係者(久保銀造)から資金を出してもらい、日本に帰って探偵事務所をひらく。

 「なに、探偵?探偵という職業はよく知らんが、やはり活動写真に出てくるように天眼鏡や巻尺なんか使うのかね?」
 パトロンがふしぎがって聞く。
 「いや、ぼくはそんなものはつかわんつもりです」
 「では、なにをつかうのかな」
 「これをつかいます」
 耕助はニコニコしながら、もじゃもじゃの頭をたたいてみせる。
  
 デビュー当時は、25・6歳の、色の白い中肉中背の青年だった。洋行帰りのくせに、絣の着物と袴をはいている。それも、しわだらけの着物で、足袋は破れて指がのぞき、下駄はちびている。まったく身なりに無頓着だ。

 話すとき、もじゃもじゃの頭髪をかきむしるのは初期の明智小五郎に似ており、興奮すると、どもる癖がある。およそスマートな風体とはいえないが、それがかえって、相手の警戒心をゆるめて、話を聞き出すのに役立っているのだ。

 「足跡の捜索や、指紋の検出は警察の方にやってもらいます。私はそれから得た結果を論理的に分類し、総合していって、最後に推断を下すのです。これが私の探偵方法であります。」と自称する直感型の探偵だ。

 彼がデビューした「本陣殺人事件」は、日本推理小説史上、もっとも独創的な密室トリックの名作である。

 それ以降も、彼は、後援者が岡山の果樹園の主だった関係から、もっぱら岡山地方の封建色の濃い農村でおきる奇怪な事件の捜査に活躍するのである。