
第1章 傷心

鍵を差込もうとして、玄関のドアが施錠されていないことに気付いた。
「服部、いまどき何があってもおかしくないってのに。まったく無用心すぎる…」
俺はひとりごちながら、ドアを開けて玄関に入った。
その瞬間に目にしたものを、俺は生涯忘れることなんて出来ないだろう。
床に並んだ4本の足。
直感的にそれは死体の足だとわかった。
ジ−パンを穿いた男の足と、右足に青あざのある女の脚。
それはその日の前日、祐子がこさえた青あざだった・・・。
帰宅した俺を出迎えたときには、すでに祐子の右足には見事なあざができていた。
「それ。また、やったのか。」
「『また』はないでしょ、ひどいわね。探し物していたら、ぶつけたの。ね、それより、私の名前を書いたダンボ−ル、どこにあるか知らない?」
「いや、覚えてないけど。置くとしたらクロ−ゼットだろ。探すの、手伝おう。」
二人で探してもそのダンボ−ルは見つからなかった。
「大事なものでも入ってたのか?」
「う−ん。アルバムとか手紙とか。」
「実家にでも置いてきたんじゃないの。それより湿布を貼ったほうがいい。」
そんなやりとりがあった次の日、祐子は冷たくなって床に転がっている・・・。
その後は、頭にもやがかかったようではっきりとしない。
いや、たしか玄関にへたりこんでいた俺に話しかけてきた女性がいた。
「何かあったんですか」とか「大丈夫ですか」とか話しかけられたようだ。
中の異変に気付き、救急車を手配してくれたらしい。
どんな人だったかは思い出せない。
正気づかせようとしたのだろう、肩を揺するときに置かれた手の感触は残っている。
何故だか俺は、祐子と初めて出会った、楽しかった学生時代に思いを馳せていた。
警察での事情聴取はいくつかの質問ではじまった。
−関口さん、本日の午後12時からあなたはどこにいましたか。
−関口さん、それを証明できる人はいますか。
−関口さん、せきぐちさん、セキグチサン・・・。
頭が割れそうだ。
−関口さん、服部圭介さんとはどういうお付き合いで。
服部とはほんの子供の頃からの付合いです。
頭は切れ、ク−ルだけど意外に面倒見がよく、いつだってグル−プの中心的な存在でした。
このくだらない質問にくだらない答えをいうのは誰だ。
俺なのか。
ああ、どこか遠くから聞こえてくるようだ。
−何故、今日服部さんの自宅へ行ったのですか。
服部に金を貸していたんです。
今日、会社ちかくまで返しに来る、ということでした。
昼過ぎに突然あいつから「足をくじいたから、部屋まで取りにきてくれないか。」と電話がありました。
−服部さんのマンションは、エントランスに入るのに鍵が要りますよね。鍵は持っていたのですか。
大学の頃から服部は悪酔いするようになって。付き合いも一番長いし、飲み友達であいつより上背があるのは他にいない、という理由もあって鍵を預かるようになりました。会社に勤め出してもその習慣だけは続いていたんです。
誰か助けてくれ。
服部。何故、俺をこんな目に遭わせる。
何故、祐子を道連れにした。
おまえにはあの女がいただろう。
あの女が。
ふと見上げると義父と目が合った。
これが、あの黒田泰造だろうか。
自信に満ち溢れ、常に堂々として、好漢として世間にもてはやされた・・・。
いまは最愛の娘を失った、ただの父親だった。
義父の車の中、後部座席で俺たちはだまりこくっていた。
やがて、義父が話し出した。
「修一君、この件は心中ということでかたがつくそうだ。」
「!」
「選挙が近いせいじゃない。無論、出馬はしない。だがな、服部君の父君は私にとっても大親友であり恩人でもあるのだ。警察では祐子がさきに死んだと言っているが、致命傷は見当たらない。・・・そして服部君も死んだ。」
「お義父さんは、祐子は殺されたと思っているのでしょう、だったら心中なんて、そんな馬鹿な。」
「二人とも同じ睡眠薬を飲んでいたそうだ。殺されたという証拠はないんだ。」
俺は車から出ようとして、力強い手に押さえこまれた格好になった。
「修一君、何度も言うが殺されたという証拠は無い、事実を知る二人も死んでしまった。心中以外に何がある?」
義父は泣いていた。
「・・・服部君を赤ん坊のときから知っている。人を殺せるような男じゃない、君もよくわかっているはずだ。」
車が止まった。
信号が赤い川のように流れていた。
大学の学園祭で、服部と俺はマイナ−な作家をとりあげた。
「どうせやるなら、本人にインタビュ−しよう。」
服部は一度言い出したらきかない。
プロの作家が俺達のような学生を相手にする訳がない、と一笑に付していたが、服部は何度も依頼状をだし足を運んで会見を現実のものにした。
本人に直接取材しただけあって、他を圧倒する出来映えだった。
一緒の写真撮影も快諾してくれたし、デビュ−作の初版本までも何冊かわけてくれた。
大満足の俺達は、まわりの反響など気にも留めてなかった。
ところが…。
「デビュ−作はたしか絶版になってますよね。この初版本はどうやって手に入れたのですか?」という質問をしてきた女の子がいた、黒田祐子と伊藤尚美だ。
このことがきっかけで四人で遊びに行くようになった。
女の子たちは最初、少年の面影を残す服部に強く惹かれていたが、やがて服部と黒田祐子が二人だけで会うようになっていた。
俺はと言えば、強引な伊藤尚美にたびたび連れ出されたが、見栄っ張りでそのくせ人の顔色ばかりうかがう彼女を好きになれなかった。
卒業後、服部は海外へ留学し、二人は別れ…時は移り、祐子は俺の妻になった。
「留学だけが理由じゃなかったのよ。」
いつだったか、服部と別れた理由を聞いたとき、祐子はぽつりとそれだけ答えた。
それ以上は聞かなくてもわかる。
やつの女癖の悪さを一番よく知っていたのは俺だったから。
祐子はその服部のマンションにいたのだ。
物言わぬ変わり果てた姿となって。
義父の言ったとおり、無理心中事件として処理された。
葬儀にその女性は来ていた。
親族席に一礼した後、俺の目に視線を合わせてきた。
見覚えのある顔だと思ったが、名前は浮かばなかった。
目を腫らした義母がこっそり耳打ちしてくれた。
「ほら、救急車を呼んでくれた方よ。」
そうか、どうりでどこかで見た顔だ、俺は頭を下げた。
「どうも、あのときはお世話になりました。」
「いいえ、当然のことをしたまでです。奥様でしたか、本当にお気の毒でしたね。」
「あっ、どうも・・・。」
俺は適当な言葉をみつけられず、また頭を下げた。
事件が事件だけにマスコミがおしかけてきそうなものだが、祐子の家は代々地元の名士で、父親は代議士だ。
こういうときこそ地位や権力はありがたいものだ、と素直に思う。
義父の姿はなかった。
有言実行を旨とする人らしく、今回の選挙への出馬はとりやめたが、同じ党の候補者の応援のため街頭演説をしているらしい。
義父の憔悴しきった顔を思い浮かべると胸が痛む。
新鮮な空気を吸おうと外へ出た。
いたるところで、「心中」という言葉が漣のように繰り返し聞こえてくる。
こぶしを強く握った。
祐子を一番よく知っているのは俺だ。
そして、たとえ何と言われようとも俺だけは祐子を信じよう、そう思った。
葬儀の後、しばらくは何も手につかなかった。
もうこの世には、痛みを分け合う妻も友人も居ないのだ。
死にたいとも生きたいとも思わなかったが、腹だけは減るらしい。
コンビ二で適当に食料を買い、ぶらぶらと歩いていたら、突然うしろで大きな声がした。
「…あのう、あの、よかったらどうぞ。」
振り向くと葬儀で挨拶した女性がいた。俺に傘をさしかけている。
どうやら、何度か呼びとめようとしたらしい、顔がすっかり上気していた。
「そうか、雨が降っていたんだ。」
俺を見上げていた顔に、ふと同情するような表情が浮かんだ。
「わたし、田中いずみといいます。すぐ近くにこだわりのコ−ヒ−を出す店があります。一人じゃ入りにくくて。あのう、一緒にいかがですか。」
彼女は一気にまくしたて、返事も聞かずに歩き出した。
しぶしぶ後をついていくことにした。
久しぶりの熱いコ−ヒ−をすすりながら、田中と名乗る女性の話を聞いていた。
いや、聞くふりをしていた、というのが正解か。
服部はいま夢中になっている女がいたはず。
なのに何故、無理心中の相手に祐子を選んだのか、そもそも何故祐子があいつのマンションに居たのか
もし、本当に心中じゃないとしたら・・・。
いくら考えてもわからなかった。
「あのう、関口さん、でしたよね。」
「えっ?あ、はい何でしょう。」
我ながらマヌケな返事だ。
「ひどい。せっかく面白い話をしていたのに。全然聞いてなかったんですね。」
俺はむっとした。
「たしかに、話を聞かなかったのは悪かった。だが、君も知ってのとおり、面白い話を面白いと思う心の余裕は無いんだ。」
彼女はしばらく押し黙った後、突然つと立ち上がった。
「お詫びとして、ここはおごってくださいね。じゃあ。」
妻を失ったばかりの男が哀れになって声をかけたのか、単なる興味からか。
まったく、何の用事があるというのか。
彼女には悪いとは思ったが、正直言って目の前からいなくなってほっとした。
いまは誰ともかかわりたくない。
雨はいつのまにか止んでいた。 |
注) この第一章は公開当時のものです。実際の第一章は加筆しています。
注) 著作権は佑羽にあります。無断での転載・使用はお断りします。 |
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